平沢勝栄徹底解剖

平沢勝栄(ひらさわかつえい)1945年9月4日 岐阜県生まれ 衆議院議員 東京大学法学部卒業、警察庁入庁後、米国デューク大学大学院留学(修士課程修了)。在英日本国大使館一等書記官、後藤田正晴内閣官房長官秘書官、警視庁防犯部長、警察庁審議官などをへて退官。1996年初当選以来5期連続当選。 防衛庁長官政務官、総務大臣政務官、自民党法務部会長、衆議院拉致問題特別委員長、内閣府副大臣、衆議院外務委員長、自民党国会対策副委員長、衆議院議院運営委員会理事などを歴任。現総務副会長、現外務委員会理事。

当時の国鉄東北線は、まだ単線で、もちろん蒸気機関車の時代だった。

列車も一時間半に一本の割合でしかなかった。

二本松市から福島市までの所要時間は片道五十分以上もかかった。

各駅停車のうえ待ち合わせのために余計、時間がかかったのだ。

そのうえ歩く時間として三十分間がプラスされた。

普通の高校生なら、こんな「長時間通学」など嫌がるものだが、平沢勝栄氏の場合は違った。

行き帰りの列車内で過ごす時間や、駅の待合室での待ち時間を、勉強のために使ったのである。列車の中では行き帰りとも確実に座れたことが幸いした。

教科書や参考書を読みふけった。平沢勝栄氏にとっては貴重な時間だった。

こんな平沢勝栄氏の姿は、「すごい奴がいるぞ。汽車の中でひたすら教科書を読んでいる奴がいる」と、福島高校内でも話題になったほどだった。