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当時の国鉄東北線は、まだ単線で、もちろん蒸気機関車の時代だった。
列車も一時間半に一本の割合でしかなかった。
二本松市から福島市までの所要時間は片道五十分以上もかかった。
各駅停車のうえ待ち合わせのために余計、時間がかかったのだ。
そのうえ歩く時間として三十分間がプラスされた。
普通の高校生なら、こんな「長時間通学」など嫌がるものだが、平沢勝栄氏の場合は違った。
行き帰りの列車内で過ごす時間や、駅の待合室での待ち時間を、勉強のために使ったのである。列車の中では行き帰りとも確実に座れたことが幸いした。
教科書や参考書を読みふけった。平沢勝栄氏にとっては貴重な時間だった。
こんな平沢勝栄氏の姿は、「すごい奴がいるぞ。汽車の中でひたすら教科書を読んでいる奴がいる」と、福島高校内でも話題になったほどだった。