1967年から1968年にかけて平沢勝栄氏らは、卒業の進路を考えなければならなかった。
平沢勝栄氏は「役人になろう」と考えていた。もっとも他の学生と同様、平沢も民間企業回りをし、入社試験も受けた。大手商社などいくつかの民間企業に合格したものの、四年生の春、国家公務員上級甲種試験(当時)を受けて合格し、警察庁に入庁することにした。
ちなみに同じクラスの五十人中、官僚への道を選んだのは平沢勝栄氏を含めて林正和(財務事務次官)、荒井正吾(運輸省に入り海上保安庁長官から現在は自民党参院議員)ら六人だった。