平沢勝栄徹底解剖

平沢勝栄(ひらさわかつえい)1945年9月4日 岐阜県生まれ 衆議院議員 東京大学法学部卒業、警察庁入庁後、米国デューク大学大学院留学(修士課程修了)。在英日本国大使館一等書記官、後藤田正晴内閣官房長官秘書官、警視庁防犯部長、警察庁審議官などをへて退官。1996年初当選以来5期連続当選。 防衛庁長官政務官、総務大臣政務官、自民党法務部会長、衆議院拉致問題特別委員長、内閣府副大臣、衆議院外務委員長、自民党国会対策副委員長、衆議院議院運営委員会理事などを歴任。現総務副会長、現外務委員会理事。

駆けだしは交番勤務

1968年4月、警察庁に入ると、すぐに東京・中野の警察大学校での教育が始まった。同期は十三人、全寮制だった。午前六時の気象に始まり、午後十時の点呼まで、坐学や柔・剣道などの実技、実習がたて続けに行われた。

学生時代の自由奔放な生活から、厳しい規律・規則だらけの生活に変わった。苦痛の連続だった。警察官になるために必要なことだと思いながらも「こんな組織で本当にやっていけるのだろうか」と思ったことは一度や二度ではなかった。

軍隊生活のような研修は三ヶ月に及んだが、その中には三週間の交番実習が入っていた。配属された先は東京・渋谷区の繁華街・道玄坂にある宇田川交番だった。

初めて制服を着て、交番の前に立った。その時の感想は「うれしいとか期待で胸が弾むといったことよりも、警察官の装備はやたらと重いな」というものだった。