平沢勝栄徹底解剖

平沢勝栄(ひらさわかつえい)1945年9月4日 岐阜県生まれ 衆議院議員 東京大学法学部卒業、警察庁入庁後、米国デューク大学大学院留学(修士課程修了)。在英日本国大使館一等書記官、後藤田正晴内閣官房長官秘書官、警視庁防犯部長、警察庁審議官などをへて退官。1996年初当選以来5期連続当選。 防衛庁長官政務官、総務大臣政務官、自民党法務部会長、衆議院拉致問題特別委員長、内閣府副大臣、衆議院外務委員長、自民党国会対策副委員長、衆議院議院運営委員会理事などを歴任。現総務副会長、現外務委員会理事。

留学一年目は寮に入った

イギリス人と同室だった。パンツもはかずに素っ裸で寝るのには驚いた。

アメリカの大学院の教授は東欧からの亡命者などいろいろで、学生も社会経験を積んだ後、大学院に入ってきた者たちが多かった。講義をする教授、それを受ける生徒たちはともに必死で「チャランポランな日本とは大いに違っていた」(平沢勝栄)という。

平沢勝栄氏の指導教官はクルスキーという亡命ポーランド人で旧ソ連の専門家だった。

宿題も多く、それを処理するため、寮と図書館を往復する毎日だった。一年目は英語力がハンディになった。ヒアリング(聞く力)には自身があった。というのは、中学生の頃から英語は得意科目だったし、ヒアリング能力を高めようと米軍の極東放送(FEN)を毎日ずっと聞いていたからだ。

さらに警察官になってからは映画館でアメリカ映画を何度も観て、耳を鍛えていた。しかし、自分の意見を正確に言い、書くのは大変だった。そのために修士論文の作成には苦労した。二年目が終わる頃には全く問題はなくなったが。