平沢勝栄徹底解剖

平沢勝栄(ひらさわかつえい)1945年9月4日 岐阜県生まれ 衆議院議員 東京大学法学部卒業、警察庁入庁後、米国デューク大学大学院留学(修士課程修了)。在英日本国大使館一等書記官、後藤田正晴内閣官房長官秘書官、警視庁防犯部長、警察庁審議官などをへて退官。1996年初当選以来5期連続当選。 防衛庁長官政務官、総務大臣政務官、自民党法務部会長、衆議院拉致問題特別委員長、内閣府副大臣、衆議院外務委員長、自民党国会対策副委員長、衆議院議院運営委員会理事などを歴任。現総務副会長、現外務委員会理事。

緊張の皇宮警察官時代

1975年8月、平沢勝栄氏は皇宮警察護衛部付に異動した。

皇宮警察は、皇族や皇后などを訪れる国賓・公賓の警備と護衛を専門に担当する組織である。人員は約千人。

着任してすぐに昭和天皇と皇后が初めてアメリカを訪問されることになり、平沢勝栄氏は七人の護衛官の一人として随行を命じられた。

平沢勝栄氏らはアメリカ側と調整を含めて警護に神経をすり減らした。太平洋戦争の記憶がまだアメリカ人に残っており、何か突発的な事件が起きても不思議ではない状況だった。しかし、アメリカ人は両陛下を温かく迎え、結果的にひとつの事故も起きずに無事に終わった。シークレット・サービスなどアメリカの治安当局が、でき得る限りの態勢をとってくれたことも大きかった。

それでも期間中、銃器不法所持者の検挙が四件、不審者の発見情報が九件あり、平沢勝栄氏らは冷や汗の連続だった。