抜てきされ警視庁教養課長に
イギリスから帰国した平沢勝栄氏は、警視庁教養課長、同防犯総務課長、内閣官房長官秘書官、警察庁少年課長などを歴任する。
このうち警視庁教養課長は抜てき人事だった。抜てきしたのは当時の警視総監・下稲葉耕吉(その後、自民党参院議員になり、法相などを歴任した後、引退)だった。下稲葉もロンドンで平沢勝栄氏に会い、是非、自分の下で使ってみたいと考えた。そのために教養課長のポストをしばらく空席にしたまま平沢勝栄氏の帰国を待ったほどだった。
教育課長は、現場での一定の勤務を終えた警視庁の職員に実務や一般教養をあらためて教える仕事である。課長として平沢は警視庁の機関紙「自警」の編集にも携わった。機関紙といえども「OJT(オン・ザ・ジョブ・トレーニング)」のためのものだけに、どういう内容にするか苦労した。
防犯総務課では、防犯部の筆頭課長として犯罪防止などの陣頭指揮をとった。少年課では、少年犯罪の予防、補導、検挙、健全育成などを担当した。
三年間のロンドン勤務で視野を広げてきた平沢にとって、これらの仕事は「あるべき警察官像」や「少年犯罪や親のしつけ」、さらには「警察行政にかかわる教育のあり方」などについて考えさせられる機会となった。イギリスと比べて改善すべき点、遅れている点などが目についたからだ。