平沢勝栄徹底解剖

平沢勝栄(ひらさわかつえい)1945年9月4日 岐阜県生まれ 衆議院議員 東京大学法学部卒業、警察庁入庁後、米国デューク大学大学院留学(修士課程修了)。在英日本国大使館一等書記官、後藤田正晴内閣官房長官秘書官、警視庁防犯部長、警察庁審議官などをへて退官。1996年初当選以来5期連続当選。 防衛庁長官政務官、総務大臣政務官、自民党法務部会長、衆議院拉致問題特別委員長、内閣府副大臣、衆議院外務委員長、自民党国会対策副委員長、衆議院議院運営委員会理事などを歴任。現総務副会長、現外務委員会理事。

2013-03-01から1ヶ月間の記事一覧

危機管理の勉強

渡邊先生は、平沢勝栄氏が警察官を経て政治家になた後、同窓会などで何度か平沢勝栄氏にあっている。 渡邊氏はその席で「警察官時代、米国に留学したり、英国の大使館に勤務しようとしたようだが、何を勉強してきたのか」と聞くと、平沢勝栄氏は「危機管理の…

東京大学

渡邊先生にとって、自分が担任したクラスから直接、東京大学に進学したのは後にも先にも平沢勝栄一人だった。 それだけ平沢勝栄のことは今でも鮮明に記憶に残っているという。

クラブ活動

平沢勝栄氏の中学時代のクラブ活動はバレーボール部に入っていた。 しかし運動よりも勉強ができるところが目立っていた。 平沢勝栄氏には優しいところがあり、小児麻痺で発育の遅れた生徒が同級生の中におり、長距離走の時、遅れたその生徒を平沢は励ました…

一を聞いて十を知る男

英語を担当していた渡邊先生は言う「重要な英単語は、辞書、一、二ページにわたって書かれているものだ。最初だけを見るのではなく、後の方も見ておくといい。そうすれば英語のボキャブラリーが増えるぞ」と指導すると、平沢勝栄氏はそれをやってきた。そし…

転校

1958年3月、平沢勝栄氏は安達町立油井小学校を卒業して、同町立油井中学校に入り、半年間だけ同中学校に通った。 その後、家が二本松市内に引っ越した関係で二本松中学校に転校した。

凄い記憶力

クラス会をやろうと、すでに衆議院議員になっていた平沢勝栄氏にも声をかけた。 クラス会は思い出話で盛り上がった。そのときである。 平沢勝栄氏は立ち上がって油井小学校の校歌を歌い始めたのだ。 校歌は3番まであるが、なんと平沢勝栄氏はメモなど一切見…

少年時代

平沢勝栄氏の少年時代について渡邊紀位先生は言う。 「覇気や向上心のある子供だった。 明るくて元気で、行動的でしたね。パッパッと動くんですよ。 友達とも分け隔てなく付き合っていた。女の子からも信望がありましたよ。 成績は全て「優」で文句なしに良…

日本商工会議所と全国珠算教育連盟の珠算一級を取得

平沢勝栄氏は、小学5年生のとき、日本商工会議所と全国珠算教育連盟の珠算一級をとった。 一級など誰でも簡単にとれるものではなかった。 平沢勝栄氏は「月謝百十円の算盤塾に通い、いろんな大会に出て、メダルやカップなどの商品を山ほどもらった」と語る。

慕う先生

平沢勝栄氏が慕った先生がいた。 小学5年生、6年生のときの担任だった渡邊紀位氏である。 油井小学校に十一年間勤めた後、須賀川市立江持小学校校長、二本松市立平石小学校校長などを歴任した。 もちろんすでに現役を引退した身だが、二本松市内に住み、ヨ…

五円玉

平沢勝栄氏が過ごした子供時代は、小遣いに五円もらえると嬉しい時代だった。 アイスキャンデーが一本五円だったからだ。 十円を出すと、あずき入りのキャンデーが買えたのである。

イナゴ取り

小学生の頃のことで、平沢勝栄氏が鮮明に憶えているのはイナゴ取りをしたことだと言う。 農家が多かったため六月の農繁期は学校が休みになる。 そして秋の収穫期になると、学校は授業を休んで全員、袋を持ってイナゴ取りに行った。 それを学校に届ける。百グ…

幼少時代は貧しかった

平沢勝栄氏の父の蚕糸業は戦後しばらく業績も良かった。 しかしナイロンなど化学繊維が出回るようになってからは経営的に厳しくなっていた。 その関係で家計は苦しく、生活も非常に厳しかったという。 とは言え、誰もが貧しかった時代。雨が降っても傘がない…

福島県へ

平沢勝栄氏は、幼稚園から小学校二年の前半まで前橋市立城南幼稚園・城南小学校に通ったが、その年の夏、一家は福島県安達郡油井村(当時)に引っ越した。 油井村はその後、近隣の村と合併して安達町となる。 平沢勝栄氏は高校を卒業するまで、この安達町と…

群馬県へ

平沢勝栄氏が生まれて間もなく父・助造が戦地から帰国し、蚕糸業を始めた。 その後、助造の仕事の関係で、平沢がまだ幼い時、一家は群馬県前橋市に引越した。 平沢勝栄氏は、幼稚園から小学校二年の前半まで前橋市立城南幼稚園・城南小学校に通った。

命名について

平沢勝栄氏が生まれた当時、父・助造はまだ戦地から帰っていなかった。 このため「勝栄」という名前をつけたのは母親の美子だったとのこと。 「勝って栄える」という意味の「勝栄」を選び、名付けたと言われている。

当時、皇宮警察本部の護衛課長をしていた

1976年、今の天皇陛下が皇太子の時代に、飛騨郷土館を見学されたことがある。 飛騨高山で開かれた赤十字大会出席の途中に立ち寄られたもので、この時に家の中を案内したのが平沢勝栄氏であった。 当時平沢勝栄氏は皇宮警察本部の護衛課長で、護衛責任者とし…

生まれた場所

平沢勝栄氏が生まれた場所は、古川町ではない。 古川町の北に位置する岐阜県白川村の美子(旧姓大戸)の実家でだった。 白川村は「白川郷」の名で有名である。

岐阜県古川町と東京・葛飾区は姉妹都市のような関係

岐阜県古川町と東京・葛飾区は防災協定を結ぶなど今では姉妹都市のような関係になっている。 平沢勝栄氏が葛飾区と江戸川区小岩を選挙区とする衆院東京十七区で当選した後、両自治体間を仲介、それ以来、両自治体間の交流が始まった。 議員交流のほか、毎年…

シャープペンシル

平沢勝栄氏ご愛用のシャープペンシル。 持ち手がシリコン製で手になじみ、手紙や資料など普段書くことが多いので疲れないのが気に入ってます。 ちなみに芯は0.9。うっかり忘れることもあるので常時、2~3本携帯します。

お気に入りのカバン

平沢勝栄氏のお気に入りのカバンは、使い始めて5、6年になるとのこと。 素材は皮革なので丈夫ですしロックキーで施錠できるので安心です。 持ち運ぶ資料や新聞、原稿が多いのでいつもパンパンになってしまいます。