平沢勝栄徹底解剖

平沢勝栄(ひらさわかつえい)1945年9月4日 岐阜県生まれ 衆議院議員 東京大学法学部卒業、警察庁入庁後、米国デューク大学大学院留学(修士課程修了)。在英日本国大使館一等書記官、後藤田正晴内閣官房長官秘書官、警視庁防犯部長、警察庁審議官などをへて退官。1996年初当選以来5期連続当選。 防衛庁長官政務官、総務大臣政務官、自民党法務部会長、衆議院拉致問題特別委員長、内閣府副大臣、衆議院外務委員長、自民党国会対策副委員長、衆議院議院運営委員会理事などを歴任。現総務副会長、現外務委員会理事。

2013-02-01から1ヶ月間の記事一覧

今後の目標

自民党の再生と北朝鮮問題の解決に全力で取り組んでいきます。

覚悟の瞬間

北朝鮮拉致問題打開のため、過去に訪中し北朝鮮関係者と接触した時は覚悟を要しました。実際に接触したものの、非公式だったため世論の非難を浴びる結果に なってしまいました。北朝鮮の金正日総書記が日本人拉致の事実を認め謝罪をしたにもかかわらず政府間…

印象に残っているエピソード

初当選の時のことです。当日はなかなか当確がでなくてドキドキハラハラしながらテレビを見ていたものです。午後11時過ぎにようやく「当選確実」と報じら れたのですが、まさか勝てると思ってなかったので驚きと感激の瞬間でした。真っ先に後援会、支援者の方…

政治家の道に進もうとしたきっかけ

旧友や警察官僚として中曽根政権時の後藤田正晴内閣官房長官に秘書官として仕えたご縁で後藤田先生に政界進出を勧められたのがきっかけです。 私には地盤、 看板、資金など後ろ盾がありませんでしたからまったく政治家になるつもりはありませんでした。しか…

幼少~学生時代

学区外の高校へ進学したため、列車と徒歩で片道1時間半以上かけての「長時間通学」でした。しかし、まったく苦になりませんでした。列車内で過ごす時間 や、駅の待合室での待ち時間は教科書や参考書を読むための貴重な時間でしたから。 子どものころから分か…

生い立ち

平沢勝栄は1945年9月4日、父・助造、母・美子の三男として生まれた。 助造は先妻と二子をもうけたが、前妻と死別。そのため美子は後妻である。 残念ながら、美子は1989年に、助造は1997年に、それぞれ亡くなっている。