就職活動でのエピソード
平沢勝栄氏が学生の頃、就職活動で唯一、不合格となったものがある。
それは国鉄(現JR)だった。当時の国鉄は、採用が内定した学生に、大学四年の四月にさかのぼって月額八千円を支給していた。それが学生には大変魅力だった。それで平沢勝栄氏も受けたのだが、不合格となった。何故、落ちたのか自分でも分からなかった。
法学部からは何人かの友人が国鉄に合格した。しかし、その後、国鉄は分割・民営化されていく。その激動の中で、地方に飛ばされ悲哀をかこった者、辞めてパリに行きラーメン屋を開いて成功した者と、人生模様は様々な形を描いていく。もし国鉄に合格していたら間違いなく入っていただろう、と平沢勝栄氏は言う。そうなっていれば、その後の人生模様は今とはまったく異なった形になっていたに違いない。