米国デューク大学に留学
警察庁外事課での勤務が終わった後の1971年7月、平沢勝栄氏はアメリカに留学する。
アメリカ留学は、人事院の長期留学制度に応じたもので当時、警察庁からは一人だけが派遣された。
平沢勝栄氏は中国語の研修のため、すでに台湾留学が決まっていたが、急きょ語学を中国語から英語に変えることになった。平沢勝栄氏はノースカロライナ州のデューク大学大学院(政治学)に入学した。
この制度では、授業料から交通費、滞在費まで国が出してくれる。一ドル三百六十円の時代に滞在費として月額で約四百ドルをもらった。アメリカの田舎でなら十分に快適な生活ができる金額だった。
一緒に留学した仲間に、通産省出身の小林興起や吉田威らがいた。
いくつかの大学に合格したが、デュー大学選んだ。日本人ができるだけ少ない大学を探した結果だった。受講科目も、選択は自由だったことから政治学を選び、二年間で修士課程を修了した。